2008年11月4日火曜日

 ぶうと云《い》って汽船がとまると、艀《はしけ》が岸を離《はな》れて、漕《こ》ぎ寄せて来た。船頭は真《ま》っ裸《ぱだか》に赤ふんどしをしめている。野蛮《やばん》な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼《め》がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森《おおもり》ぐらいな漁村だ。人を馬鹿《ばか》にしていらあ、こんな所に我慢《がまん》が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢《いせい》よく一番に飛び込んだ。続《つ》づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱《はこ》を四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻《もど》して来た。陸《おか》へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯《いそ》に立っていた鼻たれ小僧《こぞう》をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎《いなか》ものだ。猫《ねこ》の額ほどな町内の癖《くせ》に、中学校のありかも知らぬ奴《やつ》があるものか。ところへ妙《みょう》な筒《つつ》っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾《つ》いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃《そろ》えてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄《かばん》を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。
 停車場はすぐ知れた。切符《きっぷ》も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車を傭《やと》って、中学校へ来たら、もう放課後で誰《だれ》も居ない。宿直はちょっと用達《ようたし》に出たと小使《こづかい》が教えた。随分《ずいぶん》気楽な宿直がいるものだ。校長でも尋《たず》ねようかと思ったが、草臥《くたび》れたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋《やましろや》と云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎《かんたろう》の屋号と同じだからちょっと面白く思った。
 何だか二階の楷子段《はしごだん》の下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんな塞《ふさ》がっておりますからと云いながら革鞄を抛《ほう》り出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいって汗《あせ》をかいて我慢《がまん》していた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけに覗《のぞ》いてみると涼《すず》しそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。嘘《うそ》をつきゃあがった。それから下女が膳《ぜん》を持って来た。部屋は熱《あ》つかったが、飯は下宿のよりも大分|旨《うま》かった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当《あた》り前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声が聞《きこ》えた。くだらないから、すぐ寝《ね》たが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々《そうぞう》しい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたら清《きよ》の夢《ゆめ》を見た。清が越後《えちご》の笹飴《ささあめ》を笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますと云《い》って旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底が突《つ》き抜《ぬ》けたような天気だ。
 道中《どうちゅう》をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末《そまつ》に取り扱われると聞いていた。こんな、狭《せま》くて暗い部屋へ押《お》し込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装《なり》をして、ズックの革鞄と毛繻子《けじゅす》の蝙蝠傘《こうもり》を提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括《みくび》ったな。一番茶代をやって驚《おどろ》かしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐《ふところ》に入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰《もら》うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれば驚《おど》ろいて眼を廻《まわ》すに極《きま》っている。どうするか見ろと済《すま》して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。盆《ぼん》を持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女の面《つら》よりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、癪《しゃく》に障《さわ》ったから、中途《ちゅうと》で五円|札《さつ》を一|枚《まい》出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸《でか》けた。靴《くつ》は磨《みが》いてなかった。
 学校は昨日《きのう》車で乗りつけたから、大概《たいがい》の見当は分っている。四つ角を二三度曲がったらすぐ門の前へ出た。門から玄関《げんかん》までは御影石《みかげいし》で敷《し》きつめてある。きのうこの敷石の上を車でがらがらと通った時は、無暗《むやみ》に仰山《ぎょうさん》な音がするので少し弱った。途中から小倉《こくら》の制服を着た生徒にたくさん逢《あ》ったが、みんなこの門をはいって行く。中にはおれより背が高くって強そうなのが居る。あんな奴を教えるのかと思ったら何だか気味が悪《わ》るくなった。名刺《めいし》を出したら校長室へ通した。校長は薄髯《うすひげ》のある、色の黒い、目の大きな狸《たぬき》のような男である。やにもったいぶっていた。まあ精出して勉強してくれと云って、恭《うやうや》しく大きな印の捺《おさ》った、辞令を渡《わた》した。この辞令は東京へ帰るとき丸めて海の中へ抛り込《こ》んでしまった。校長は今に職員に紹介《しょうかい》してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと云って聞かした。余計な手数だ。そんな面倒《めんどう》な事をするよりこの辞令を三日間職員室へ張り付ける方がましだ。
 教員が控所《ひかえじょ》へ揃《そろ》うには一時間目の喇叭《らっぱ》が鳴らなくてはならぬ。大分時間がある。校長は時計を出して見て、追々《おいおい》ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑《の》み込んでおいてもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲《むてっぽう》なものをつらまえて、生徒の模範《もはん》になれの、一校の師表《しひょう》と仰《あお》がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及《およ》ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々《はるばる》こんな田舎へくるもんか。人間は大概似たもんだ。腹が立てば喧嘩《けんか》の一つぐらいは誰でもするだろうと思ってたが、この様子じゃめったに口も聞けない、散歩も出来ない。そんなむずかしい役なら雇《やと》う前にこれこれだと話すがいい。おれは嘘《うそ》をつくのが嫌《きら》いだから、仕方がない、だまされて来たのだとあきらめて、思い切りよく、ここで断《こと》わって帰っちまおうと思った。宿屋へ五円やったから財布《さいふ》の中には九円なにがししかない。九円じゃ東京までは帰れない。茶代なんかやらなければよかった。惜《お》しい事をした。しかし九円だって、どうかならない事はない。旅費は足りなくっても嘘をつくよりましだと思って、到底《とうてい》あなたのおっしゃる通りにゃ、出来ません、この辞令は返しますと云ったら、校長は狸のような眼をぱちつかせておれの顔を見ていた。やがて、今のはただ希望である、あなたが希望通り出来ないのはよく知っているから心配しなくってもいいと云いながら笑った。そのくらいよく知ってるなら、始めから威嚇《おどさ》さなければいいのに。
 そう、こうする内に喇叭が鳴った。教場の方が急にがやがやする。もう教員も控所へ揃いましたろうと云うから、校長に尾いて教員控所へはいった。広い細長い部屋の周囲に机を並《なら》べてみんな腰《こし》をかけている。おれがはいったのを見て、みんな申し合せたようにおれの顔を見た。見世物じゃあるまいし。それから申し付けられた通り一人一人《ひとりびとり》の前へ行って辞令を出して挨拶《あいさつ》をした。大概《たいがい》は椅子《いす》を離れて腰をかがめるばかりであったが、念の入ったのは差し出した辞令を受け取って一応拝見をしてそれを恭《うやうや》しく返却《へんきゃく》した。まるで宮芝居の真似《まね》だ。十五人目に体操《たいそう》の教師へと廻って来た時には、同じ事を何返もやるので少々じれったくなった。向《むこ》うは一度で済む。こっちは同じ所作《しょさ》を十五返繰り返している。少しはひとの了見《りょうけん》も察してみるがいい。
 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。妙《みょう》に女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣《しゃつ》を着ている。いくらか薄《うす》い地には相違《そうい》なくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装《なり》をしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿《ばか》にしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体《からだ》に薬になるから、衛生のためにわざわざ誂《あつ》らえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物も袴《はかま》も赤にすればいい。それから英語の教師に古賀《こが》とか云う大変顔色の悪《わ》るい男が居た。大概顔の蒼《あお》い人は瘠《や》せてるもんだがこの男は蒼くふくれている。昔《むかし》小学校へ行く時分、浅井《あさい》の民《たみ》さんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓《ひゃくしょう》だから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子《とうなす》ばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食った酬《むく》いだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるに違《ちが》いない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田《ほった》というのが居た。これは逞《たくま》しい毬栗坊主《いがぐりぼうず》で、叡山《えいざん》の悪僧《あくそう》と云うべき面構《つらがまえ》である。人が叮寧《ていねい》に辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給《きたま》えアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀《れいぎ》を心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐《やまあらし》という渾名《あだな》をつけてやった。漢学の先生はさすがに堅《かた》いものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精《れいせい》で、――とのべつに弁じたのは愛嬌《あいきょう》のあるお爺《じい》さんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾《すきや》の羽織を着て、扇子《せんす》をぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃ嬉《うれ》しい、お仲間が出来て……私《わたし》もこれで江戸《えど》っ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。
 挨拶が一通り済んだら、校長が今日はもう引き取ってもいい、もっとも授業上の事は数学の主任と打ち合せをしておいて、明後日《あさって》から課業を始めてくれと云った。数学の主任は誰かと聞いてみたら例の山嵐であった。忌々《いまいま》しい、こいつの下に働くのかおやおやと失望した。山嵐は「おい君どこに宿《とま》ってるか、山城屋か、うん、今に行って相談する」と云い残して白墨《はくぼく》を持って教場へ出て行った。主任の癖に向うから来て相談するなんて不見識な男だ。しかし呼び付けるよりは感心だ。
 それから学校の門を出て、すぐ宿へ帰ろうと思ったが、帰ったって仕方がないから、少し町を散歩してやろうと思って、無暗に足の向く方をあるき散らした。県庁も見た。古い前世紀の建築である。兵営も見た。麻布《あざぶ》の聯隊《れんたい》より立派でない。大通りも見た。神楽坂《かぐらざか》を半分に狭くしたぐらいな道幅《みちはば》で町並《まちなみ》はあれより落ちる。二十五万石の城下だって高の知れたものだ。こんな所に住んでご城下だなどと威張《いば》ってる人間は可哀想《かわいそう》なものだと考えながらくると、いつしか山城屋の前に出た。広いようでも狭いものだ。これで大抵《たいてい》は見尽《みつく》したのだろう。帰って飯でも食おうと門口をはいった。帳場に坐《すわ》っていたかみさんが、おれの顔を見ると急に飛び出してきてお帰り……と板の間へ頭をつけた。靴《くつ》を脱《ぬ》いで上がると、お座敷《ざしき》があきましたからと下女が二階へ案内をした。十五|畳《じょう》の表二階で大きな床《とこ》の間《ま》がついている。おれは生れてからまだこんな立派な座敷へはいった事はない。この後いつはいれるか分らないから、洋服を脱いで浴衣《ゆかた》一枚になって座敷の真中《まんなか》へ大の字に寝てみた。いい心持ちである。
 昼飯を食ってから早速清へ手紙をかいてやった。おれは文章がまずい上に字を知らないから手紙を書くのが大嫌《だいきら》いだ。またやる所もない。しかし清は心配しているだろう。難船して死にやしないかなどと思っちゃ困るから、奮発《ふんぱつ》して長いのを書いてやった。その文句はこうである。
「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寝ている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寝られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今にいろいろな事を書いてやる。さようなら」
 手紙をかいてしまったら、いい心持ちになって眠気《ねむけ》がさしたから、最前のように座敷の真中へのびのびと大の字に寝た。今度は夢も何も見ないでぐっすり寝た。この部屋かいと大きな声がするので目が覚めたら、山嵐がはいって来た。最前は失敬、君の受持ちは……と人が起き上がるや否や談判を開かれたので大いに狼狽《ろうばい》した。受持ちを聞いてみると別段むずかしい事もなさそうだから承知した。このくらいの事なら、明後日は愚《おろか》、明日《あした》から始めろと云ったって驚ろかない。授業上の打ち合せが済んだら、君はいつまでこんな宿屋に居るつもりでもあるまい、僕《ぼく》がいい下宿を周旋《しゅうせん》してやるから移りたまえ。外のものでは承知しないが僕が話せばすぐ出来る。早い方がいいから、今日見て、あす移って、あさってから学校へ行けば極りがいいと一人で呑み込んでいる。なるほど十五畳敷にいつまで居る訳にも行くまい。月給をみんな宿料《しゅくりょう》に払《はら》っても追っつかないかもしれぬ。五円の茶代を奮発《ふんぱつ》してすぐ移るのはちと残念だが、どうせ移る者なら、早く引き越《こ》して落ち付く方が便利だから、そこのところはよろしく山嵐に頼《たの》む事にした。すると山嵐はともかくもいっしょに来てみろと云うから、行った。町はずれの岡の中腹にある家で至極|閑静《かんせい》だ。主人は骨董《こっとう》を売買するいか銀と云う男で、女房《にょうぼう》は亭主《ていしゅ》よりも四つばかり年嵩《としかさ》の女だ。中学校に居た時ウィッチと云う言葉を習った事があるがこの女房はまさにウィッチに似ている。ウィッチだって人の女房だから構わない。とうとう明日から引き移る事にした。帰りに山嵐は通町《とおりちょう》で氷水を一|杯奢《ぱいおご》った。学校で逢った時はやに横風《おうふう》な失敬な奴だと思ったが、こんなにいろいろ世話をしてくれるところを見ると、わるい男でもなさそうだ。ただおれと同じようにせっかちで肝癪持《かんしゃくもち》らしい。あとで聞いたらこの男が一番生徒に人望があるのだそうだ。

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