2008年11月4日火曜日

 いよいよ学校へ出た。初めて教場へはいって高い所へ乗った時は、何だか変だった。講釈をしながら、おれでも先生が勤まるのかと思った。生徒はやかましい。時々|図抜《ずぬ》けた大きな声で先生と云《い》う。先生には応《こた》えた。今まで物理学校で毎日先生先生と呼びつけていたが、先生と呼ぶのと、呼ばれるのは雲泥《うんでい》の差だ。何だか足の裏がむずむずする。おれは卑怯《ひきょう》な人間ではない。臆病《おくびょう》な男でもないが、惜《お》しい事に胆力《たんりょく》が欠けている。先生と大きな声をされると、腹の減った時に丸の内で午砲《どん》を聞いたような気がする。最初の一時間は何だかいい加減にやってしまった。しかし別段困った質問も掛《か》けられずに済んだ。控所《ひかえじょ》へ帰って来たら、山嵐がどうだいと聞いた。うんと単簡に返事をしたら山嵐は安心したらしかった。
 二時間目に白墨《はくぼく》を持って控所を出た時には何だか敵地へ乗り込《こ》むような気がした。教場へ出ると今度の組は前より大きな奴《やつ》ばかりである。おれは江戸《えど》っ子で華奢《きゃしゃ》に小作りに出来ているから、どうも高い所へ上がっても押《お》しが利かない。喧嘩《けんか》なら相撲取《すもうとり》とでもやってみせるが、こんな大僧《おおぞう》を四十人も前へ並《なら》べて、ただ一|枚《まい》の舌をたたいて恐縮《きょうしゅく》させる手際はない。しかしこんな田舎者《いなかもの》に弱身を見せると癖《くせ》になると思ったから、なるべく大きな声をして、少々巻き舌で講釈してやった。最初のうちは、生徒も烟《けむ》に捲《ま》かれてぼんやりしていたから、それ見ろとますます得意になって、べらんめい調を用いてたら、一番前の列の真中《まんなか》に居た、一番強そうな奴が、いきなり起立して先生と云う。そら来たと思いながら、何だと聞いたら、「あまり早くて分からんけれ、もちっと、ゆるゆる遣《や》って、おくれんかな、もし」と云った。おくれんかな[#「おくれんかな」に傍点]、もし[#「もし」に傍点]は生温《なまぬ》るい言葉だ。早過ぎるなら、ゆっくり云ってやるが、おれは江戸っ子だから君等《きみら》の言葉は使えない、分《わか》らなければ、分るまで待ってるがいいと答えてやった。この調子で二時間目は思ったより、うまく行った。ただ帰りがけに生徒の一人がちょっとこの問題を解釈をしておくれんかな、もし、と出来そうもない幾何《きか》の問題を持って逼《せま》ったには冷汗《ひやあせ》を流した。仕方がないから何だか分らない、この次教えてやると急いで引き揚《あ》げたら、生徒がわあと囃《はや》した。その中に出来ん出来んと云う声が聞《きこ》える。箆棒《べらぼう》め、先生だって、出来ないのは当り前だ。出来ないのを出来ないと云うのに不思議があるもんか。そんなものが出来るくらいなら四十円でこんな田舎へくるもんかと控所へ帰って来た。今度はどうだとまた山嵐が聞いた。うんと云ったが、うんだけでは気が済まなかったから、この学校の生徒は分らずやだなと云ってやった。山嵐は妙《みょう》な顔をしていた。
 三時間目も、四時間目も昼過ぎの一時間も大同小異であった。最初の日に出た級は、いずれも少々ずつ失敗した。教師ははたで見るほど楽じゃないと思った。授業はひと通り済んだが、まだ帰れない、三時までぽつ然《ねん》として待ってなくてはならん。三時になると、受持級の生徒が自分の教室を掃除《そうじ》して報知《しらせ》にくるから検分をするんだそうだ。それから、出席簿《しゅっせきぼ》を一応調べてようやくお暇《ひま》が出る。いくら月給で買われた身体《からだ》だって、あいた時間まで学校へ縛《しば》りつけて机と睨《にら》めっくらをさせるなんて法があるものか。しかしほかの連中はみんな大人《おとな》しくご規則通りやってるから新参のおればかり、だだを捏《こ》ねるのもよろしくないと思って我慢《がまん》していた。帰りがけに、君何でもかんでも三時|過《すぎ》まで学校にいさせるのは愚《おろか》だぜと山嵐に訴えたら、山嵐はそうさアハハハと笑ったが、あとから真面目《まじめ》になって、君あまり学校の不平を云うと、いかんぜ。云うなら僕《ぼく》だけに話せ、随分《ずいぶん》妙な人も居るからなと忠告がましい事を云った。四つ角で分れたから詳《くわ》しい事は聞くひまがなかった。
 それからうちへ帰ってくると、宿の亭主《ていしゅ》がお茶を入れましょうと云ってやって来る。お茶を入れると云うからご馳走《ちそう》をするのかと思うと、おれの茶を遠慮《えんりょ》なく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中《るすちゅう》も勝手にお茶を入れましょうを一人《ひとり》で履行《りこう》しているかも知れない。亭主が云うには手前は書画骨董《しょがこっとう》がすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるようになりました。あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、飛んでもない勧誘《かんゆう》をやる。二年前ある人の使《つかい》に帝国《ていこく》ホテルへ行った時は錠前《じょうまえ》直しと間違《まちが》えられた事がある。ケットを被《かぶ》って、鎌倉《かまくら》の大仏を見物した時は車屋から親方と云われた。その外|今日《こんにち》まで見損《みそくな》われた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。大抵《たいてい》はなりや様子でも分る。風流人なんていうものは、画《え》を見ても、頭巾《ずきん》を被《かぶ》るか短冊《たんざく》を持ってるものだ。このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲者《くせもの》じゃない。おれはそんな呑気《のんき》な隠居《いんきょ》のやるような事は嫌《きら》いだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手付《てつき》をして飲んでいる。実はゆうべ茶を買ってくれと頼《たの》んでおいたのだが、こんな苦い濃《こ》い茶はいやだ。一|杯《ぱい》飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無暗《むやみ》に飲む奴《やつ》だ。主人が引き下がってから、明日の下読《したよみ》をしてすぐ寝《ね》てしまった。
 それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ばかりしたら学校の様子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大概《たいがい》は分った。ほかの教師に聞いてみると辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は自分の評判がいいだろうか、悪《わ》るいだろうか非常に気に掛《か》かるそうであるが、おれは一向そんな感じはなかった。教場で折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇麗《きれい》に消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響《えいきょう》を与《あた》えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈《てい》するかまるで無頓着《むとんじゃく》であった。おれは前に云う通りあまり度胸の据《すわ》った男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ行《ゆ》く覚悟《かくご》でいたから、狸《たぬき》も赤シャツも、ちっとも恐《おそろ》しくはなかった。まして教場の小僧《こぞう》共なんかには愛嬌《あいきょう》もお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな者を持ってくる。始めに持って来たのは何でも印材で、十《とお》ばかり並《なら》べておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。田舎巡《いなかまわ》りのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは入らないと云ったら、今度は華山《かざん》とか何とか云う男の花鳥の掛物《かけもの》をもって来た。自分で床《とこ》の間《ま》へかけて、いい出来じゃありませんかと云うから、そうかなと好加減《いいかげん》に挨拶《あいさつ》をすると、華山には二人《ふたり》ある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、この幅《ふく》はその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさいと催促《さいそく》をする。金がないと断わると、金なんか、いつでもようございますとなかなか頑固《がんこ》だ。金があつても買わないんだと、その時は追っ払《ぱら》っちまった。その次には鬼瓦《おにがわら》ぐらいな大硯《おおすずり》を担ぎ込んだ。これは端渓《たんけい》です、端渓ですと二|遍《へん》も三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した。端渓には上層中層下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、この眼《がん》をご覧なさい。眼が三つあるのは珍《めず》らしい。溌墨《はつぼく》の具合も至極よろしい、試してご覧なさいと、おれの前へ大きな硯を突《つ》きつける。いくらだと聞くと、持主が支那《しな》から持って帰って来て是非売りたいと云いますから、お安くして三十円にしておきましょうと云う。この男は馬鹿《ばか》に相違《そうい》ない。学校の方はどうかこうか無事に勤まりそうだが、こう骨董責《こっとうぜめ》に逢《あ》ってはとても長く続きそうにない。
 そのうち学校もいやになった。  ある日の晩|大町《おおまち》と云う所を散歩していたら郵便局の隣《とな》りに蕎麦《そば》とかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである。東京に居《お》った時でも蕎麦屋の前を通って薬味の香《にお》いをかぐと、どうしても暖簾《のれん》がくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。ついでだから一杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない。東京と断《こと》わる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法《めっぽう》きたない。畳《たたみ》は色が変ってお負けに砂でざらざらしている。壁《かべ》は煤《すす》で真黒《まっくろ》だ。天井《てんじょう》はランプの油烟《ゆえん》で燻《くす》ぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二三日《にさんち》前から開業したに違《ちが》いなかろう。ねだん付の第一号に天麩羅《てんぷら》とある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まで隅《すみ》の方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中《れんじゅう》が、ひとしくおれの方を見た。部屋《へや》が暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶《あいさつ》をしたから、おれも挨拶をした。その晩は久《ひさ》し振《ぶり》に蕎麦を食ったので、旨《うま》かったから天麩羅を四杯|平《たいら》げた。
 翌日何の気もなく教場へはいると、黒板一杯ぐらいな大きな字で、天麩羅先生とかいてある。おれの顔を見てみんなわあと笑った。おれは馬鹿馬鹿しいから、天麩羅を食っちゃ可笑《おか》しいかと聞いた。すると生徒の一人《ひとり》が、しかし四杯は過ぎるぞな、もし、と云った。四杯食おうが五杯食おうがおれの銭でおれが食うのに文句があるもんかと、さっさと講義を済まして控所へ帰って来た。十分立って次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯なり。但《ただ》し笑うべからず。と黒板にかいてある。さっきは別に腹も立たなかったが今度は癪《しゃく》に障《さわ》った。冗談《じょうだん》も度を過ごせばいたずらだ。焼餅《やきもち》の黒焦《くろこげ》のようなもので誰《だれ》も賞《ほ》め手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまで押《お》して行っても構わないと云う了見《りょうけん》だろう。一時間あるくと見物する町もないような狭《せま》い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露《にちろ》戦争のように触《ふ》れちらかすんだろう。憐《あわ》れな奴等《やつら》だ。小供の時から、こんなに教育されるから、いやにひねっこびた、植木鉢《うえきばち》の楓《かえで》みたような小人《しょうじん》が出来るんだ。無邪気《むじゃき》ならいっしょに笑ってもいいが、こりゃなんだ。小供の癖《くせ》に乙《おつ》に毒気を持ってる。おれはだまって、天麩羅を消して、こんないたずらが面白いか、卑怯《ひきょう》な冗談だ。君等は卑怯と云う意味を知ってるか、と云ったら、自分がした事を笑われて怒《おこ》るのが卑怯じゃろうがな、もしと答えた奴がある。やな奴だ。わざわざ東京から、こんな奴を教えに来たのかと思ったら情なくなった。余計な減らず口を利かないで勉強しろと云って、授業を始めてしまった。それから次の教場へ出たら天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなりと書いてある。どうも始末に終えない。あんまり腹が立ったから、そんな生意気な奴は教えないと云ってすたすた帰って来てやった。生徒は休みになって喜んだそうだ。こうなると学校より骨董の方がまだましだ。
 天麩羅蕎麦もうちへ帰って、一晩寝たらそんなに肝癪《かんしゃく》に障らなくなった。学校へ出てみると、生徒も出ている。何だか訳が分らない。それから三日ばかりは無事であったが、四日目の晩に住田《すみた》と云う所へ行って団子《だんご》を食った。この住田と云う所は温泉のある町で城下から汽車だと十分ばかり、歩いて三十分で行かれる、料理屋も温泉宿も、公園もある上に遊廓《ゆうかく》がある。おれのはいった団子屋は遊廓の入口にあって、大変うまいという評判だから、温泉に行った帰りがけにちょっと食ってみた。今度は生徒にも逢わなかったから、誰《だれ》も知るまいと思って、翌日学校へ行って、一時間目の教場へはいると団子二|皿《さら》七銭と書いてある。実際おれは二皿食って七銭|払《はら》った。どうも厄介《やっかい》な奴等だ。二時間目にもきっと何かあると思うと遊廓の団子旨い旨いと書いてある。あきれ返った奴等だ。団子がそれで済んだと思ったら今度は赤手拭《あかてぬぐい》と云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に極《き》めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及《およ》ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた出掛《でかけ》る。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に染《そま》った上へ、赤い縞《しま》が流れ出したのでちょっと見ると紅色《べにいろ》に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。どうも狭い土地に住んでるとうるさいものだ。まだある。温泉は三階の新築で上等は浴衣《ゆかた》をかして、流しをつけて八銭で済む。その上に女が天目《てんもく》へ茶を載《の》せて出す。おれはいつでも上等へはいった。すると四十円の月給で毎日上等へはいるのは贅沢《ぜいたく》だと云い出した。余計なお世話だ。まだある。湯壺《ゆつぼ》は花崗石《みかげいし》を畳《たた》み上げて、十五|畳敷《じょうじき》ぐらいの広さに仕切ってある。大抵《たいてい》は十三四人|漬《つか》ってるがたまには誰も居ない事がある。深さは立って乳の辺まであるから、運動のために、湯の中を泳ぐのはなかなか愉快《ゆかい》だ。おれは人の居ないのを見済《みすま》しては十五畳の湯壺を泳ぎ巡《まわ》って喜んでいた。ところがある日三階から威勢《いせい》よく下りて今日も泳げるかなとざくろ口を覗《のぞ》いてみると、大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼《は》りつけてある。湯の中で泳ぐものは、あまりあるまいから、この貼札《はりふだ》はおれのために特別に新調したのかも知れない。おれはそれから泳ぐのは断念した。泳ぐのは断念したが、学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてあるには驚《おど》ろいた。何だか生徒全体がおれ一人を探偵《たんてい》しているように思われた。くさくさした。生徒が何を云ったって、やろうと思った事をやめるようなおれではないが、何でこんな狭苦しい鼻の先がつかえるような所へ来たのかと思うと情なくなった。それでうちへ帰ると相変らず骨董責である。

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